目に見える美しさは、見えない美しさに育まれる。
日本文化の美の英知を背景に時をかけて磨き抜いた美の精神。
KIHINとは、
コスメデコルテが叶える唯一無二の美しさです。

独自の美の精神とともに
ブランド誕生以降、長い歴史と経験の中で培った
ものづくりの誇りを大切に守り続けてきました。

国を越えて人々を魅了する
日本の美しい心とクラフトマンシップを
絶やすことなく、後世に伝承するために、
日本の伝統工芸の分野で活躍する女性を応援してまいります。

未来を照らす感性に満ちた女性たちの
「ものづくりの誇り×KIHIN」に込める想いをお届けします。

New Episode

Interview

Episode 01

江戸切子の繊細な色彩ときらめきに、世界を照らす女性の輝きを重ねて。
伝統工芸に携わる新世代の職人、三澤世奈さんを訪ねて東京・江戸川へ。
当代を誇る高い技術と卓越した感性を持つ三代秀石 堀口徹氏の元で研鑽を積み、日々真摯に硝子と向き合う三澤さんの「ものづくり」に注ぐ想いと、自身が選びとった人生に対するヴィジョンを語っていただきました。

株式会社堀口切子に所属している江戸切子職人です。2019年に堀口切子の新ブランド(SENA MISAWA)を立ち上げて制作のプロデュース、デザインを担当しています。コンセプトは、“日常に心地よいトーンの切子”。今までにないペールトーンの色合いやミニマルなデザインを取り入れたものを提案しています。

堀口切子を選んだ理由は?

物としての美しさやデザインが良いのはもちろんですが、それ(物の良さ)をどのように分かってもらうか、
ということにも力を注いでいるところに共感を覚えたので、こちらに入りたいと思いました。

江戸切子とは?

江戸切子とは江戸時代後期に始まったガラス工芸で現在は国の伝統的工芸品に指定されています。
定義はとてもシンプルで、
1つめが、ガラスであること。
2つめが、手作業で作っていること。
3つめが、主に回転道具を使用していること。
4つめが東京近郊で作られていること。
江戸切子は、色もデザインもとっても自由なものです。

ものづくりにおいて大切にしていることは?

美意識というものに関しては、良い悪いも誰かの主観が客観になっての評価だと思っているので、
自分が何が好きなのか、何が美しいと思うのかを自分自身で理解する事、深く問いただす事が大切だと思います。

それを追求したいって思うのは当たり前で、
技術を追求することはそこまで意識しなくても努力できるけど、自分が常にどんなことを美しいと思い、この先どんな物を作りたいか、そういうことを考える時間も必要だと思います。

今、世の女性に対して伝えたいメッセージは?

江戸切子職人という仕事に就いて本当にたくさんの喜びを貰って、自分が作る物に共感していただいたり喜んでいただいて、
そこから自分も喜びを得て、表現する事にすごく自信を得たと思っています。

自信がある無いに関わらず、今まで作る事がすごく大好きで続けてきたことで
自分が見てみたい物、それを実際に作ってみたい、見てみたいという衝動が自分の一番の根底にあると思っています。
自分が変わるにしろ、環境を変えるにしろ、アクションするのは自分だと思って行動しているので、
「今、自分がどうしたいか」ということに素直に、自分が本当にしたい選択を、自分が心地いいと思う選択をしていきたいなと強く思っています。

Works

Profile

三澤世奈 江戸切子職人。
1989年、群馬県に生まれる。明治大学商学部卒業。
大学在学中、三代秀石 堀口徹の作品に感銘を受け、門戸を叩く。
2014年、堀口切子 入社。
2019年7月より堀口切子の新ブランド「SENA MISAWA」の制作・プロデュースを担当。

Episode 02

― 国を超えて人々を魅了する日本の美しい心とクラフトマンシップ ―
まさにそのテーマを体現し、制作活動を行う作家、中里花子さん。
日本とアメリカの二拠点で、唐津焼にルーツをもちながら自由なスタイルの器を国内外に発信し続ける彼女のインスピレーションと人生の源を訪ね、佐賀県唐津市にあるアトリエへ。自然に囲まれ、かけがえのない人々との暮らしに育まれる、明るく情熱的、たおやかで自由な創造の風景を映像と言葉で綴ります。

器作家の中里花子です。唐津焼という元々桃山時代から伝えられた焼き物の文化が、地味な印象だったり、ちょっと古めかしいイメージがあり、その一方で、もっとモダンで今の時代にフィットした器を作りたいと思っていて、2007年に独自のブランドでもある「Monohanako」という工房を唐津に立ち上げました。その後に昔からずっと縁のあったアメリカにも拠点を据え、今は毎年日本とアメリカと2つの国を行き来しながら器を作っています。

中里さんが作る器のテーマとは?

どんな世界のどんな料理や生活空間にもすんなりと受け入れられる様なシンプルな器を作りたいと思っていて、
工業製品とはまた違った、手作りならではの温かみのあるような質感やろくろの勢い、
土のエネルギーなどを使い手に感じていただけるような器であったらと思っています。

二拠点で活動する中で感じる、日本のものづくりの良さとは?

日本を出たからこそ、日本の良さが分かったというか、自分を客観的に見るということも出来ましたし、それはものづくりにおいて、とても良いことだと思っています。
日本の器の使い方は、海外と比べても稀だという特殊だという事に気づいて、器の種類が多彩なんですね。
白、黒、ブルー…染付があったり、漆があったり、ガラスのものがあったり、そんな色んな器を同じ食卓に並べるというとても面白い文化があり、
季節やシチュエーションに応じて、器を変えたりする、すごく繊細な食文化と、器の使い方があるということに感心しました。

ものづくりにおいて大切にしているもの

今という時代を生きている自分にとっては、やはり現在を大切に思っていて、過去の素晴らしい芸術品や伝統からは、学べる事がたくさんありますが、私は伝統から学んだ事を“今”というフィルターを通して時代にフィットしたものづくりをするということが、工芸の仕事だと思っています。
ただ、美の本質は今も昔も大して変わらないと思っていて。
それは形とか目に見えるものではなくて、もしかしたら、人間の心のなかに宿るエネルギーみたいなものじゃないかなと思っています。

今、世の女性に対して伝えたいメッセージは?

自分の価値や能力を、他の誰かや世の中の基準で判断する必要は全くないと思っています。自分自身の可能性をポジティブに捉えて、
最初はハッタリや根拠のない自信だっていいんです。「まずは動く」こと。最初から実力がある人なんて誰もいないので。
ずっと何かを真剣にやっていたら、そのうちに自然と実力や自信も付いてくると思います。

Works

Profile

中里花子 器作家。1972年生まれ。
唐津に育ちテニスプレーヤーを目指し16歳で単身渡米、以後半生をアメリカで過ごす。
大学卒業後、日本の食文化に目覚め父の中里 隆より陶芸を学ぶ。
2007年自身の工房「monohanako」を唐津に設立。
現在は唐津とアメリカ・メーン州の二拠点で制作・個展活動を行なっている。

Episode 03

古くからお伊勢参りの宿場町として知られてきた歴史ある街、四日市。
ここに工房を構える伊勢根付職人の梶浦明日香さんはNHKのキャスターを経て、伝統工芸の魅力に魅せられて職人を志した異色の経歴の持ち主です。
「もう怪我なんて日常」と笑いながら大小様々な彫刻刀を手に、精巧極まりない作品を彫り続ける日々。
揺るぎない眼差しで自身と、作品と向き合う梶浦さんの情熱のありかを探りに、創造の場である古民家を訪ねました。

伊勢根付とは?

根付というのは着物の帯に引っ掛けて巾着とか印籠を下げるための道具で、
伊勢根付とはお伊勢参りのお土産として人々が誰かや自分の幸せを願って帰ったもので、
祈りや想いを込めた小さな彫刻と考えてもらえたらよいと思います。

梶浦さんが考える、伊勢根付の魅力とは?

根付用語で“なれ”が生まれると価値が増します。
使い込んでいって美しい色に“なれ”が生まれてくるのがすごく大切なことで、使い込んでいくという価値観は日本人は昔から持っていたもので、
戦後どんどん薄れてきてしまいましたが、たくさん使い込んでその人ならではの味や色になって行くことが、より素晴らしいとされるものですね。

伊勢根付職人を志したきっかけは?

元々は(アナウンサー時代に)ものづくりの職人さんを紹介するコーナーを担当していたんですが、
その中でほぼすべての職人さんに後継者がいないという現状を知りました。
自らの手で「こんなに素晴らしいでしょう」と言うことは職人にとってはちょっと野暮と考えられているのですが、
そうしないために、知られることなく素晴らしいものがなくなってしまうことに危機感を感じて、
だったら私が職人になって素晴らしさを伝えたいと思ったのが一番大きな理由ですね。

梶浦さんが代表を務める女性職人グループ「凛九」とは?

よりたくさんの人に伝統工芸を知ってもらうには伝統工芸の垣根を越えて手を結んで伝統工芸職人って素敵だと発信することが大切だと思っていて、東海三県で活動している若手女性職人のグループ「凛九」を結成しました。
女性だからこそ明るく楽しく、伝統工芸に対する愛情や熱意は誰にも負けないというところを、表現できたら伝統工芸の素晴らしさもよりたくさんの人に伝わるんじゃないかなと思いました。

ものづくりに取り組む中で感じたことを聞かせてください。

先人たちがこうやってずっと繋いできてくれた知識とか知恵とか、そこに込められた精神性みたいなものは、きっと未来の人に宝になる。
生きていると私以外でもいくらでも代わりはいて、本当に私じゃなきゃいけないのかというのはいつも疑問に思うところで、
でも、一人の私を大事にしてゆくことが結果的に良い物を生み出せるという価値観、
現実にその人はその人しかいないんだから一つの物を大切にという考え方は事実だと、正しい事だと思うんですよね。
もう一度日本人がそういう考え方を大切にしていったら、こうもっと生きやすくなると思います。

今、世の女性に対して伝えたいメッセージは?

今、日本で暮らしていると、若い方が素晴らしいかのような価値観にぶつかりますが、年齢を重ねたからこその価値は絶対あると思っていて、
そこをもっと誇らしく、年齢を重ねたからこそ自分が培ってきたものがあるからこそ素晴らしいという考え方も伝統工芸を通じてすごく学べたので、そういう考え方がもっと日本に広まるといいなと思います。

Works

Profile

梶浦明日香 伊勢根付職人。
NHK名古屋放送局・津放送局キャスター時代にさまざまな伝統職人を取材。
伝統工芸の素晴らしさやそこに込められた思いに感銘を受けるとともに、このままでは多くの伝統工芸が後継者不足のため失われてしまうと危機感を感じ職人の世界へ。2010年、国際根付彫刻会会長を務めていた三重県伊勢市の中川忠峰氏に弟子入りし、根付職人となる。
また次世代の若手職人の活動の幅を広げるべく、様々な伝統工芸を担う若手職人のグループ『凛九』や『常若』を結成。各地で展示会やワークショップを開くなど、新たな担い手の育成にも力を注ぐ。

Episode 04

5、6世紀頃、大陸からの渡来人が京都にてその技術を伝えたことが始まりと言われる西陣織。
古くよりデザインを考案する図案家、糸を染める糸染職人、糸を織機にかける整経職人、織る工程に携わる織屋など
様々な職人の協業により生み出されてきました。
今回取材した佐竹美都子さんは、これらの工程全体をプロデュースし、自身のブランド「かはひらこ」を主宰しています。
熟練の技を、現代の女性たちに向け着物や帯へと紡ぐその思いを語っていただきました。

西陣織とは?

西陣織は今年ちょうど555周年を迎えまして、もともと西陣織というのはうちの前にある船岡山という山が、応仁の乱の時代に山名宗全の西の陣ということで、その周りに能装束など宮中の衣、十二単の一番上に着る着物などを織る織司という職人がこの山の周りに住んでいたというところから西陣織と言われるようになりました。
うちはその中でも西陣織の礼装用の帯を中心としたメーカーでして、私は「かはひらこ」という、
やまとことばで蝶々を意味する現代の女性に向けた帯づくりを行っています。

かはひらことは?

かはひらこと言うのは、やまとことばで蝶々を意味するんですけれども、
アサギマダラアゲハという蝶々は2000km群れで海を渡るというのを聞いたり、
ブータンシボリアゲハという蝶々は一匹でヒマラヤ山脈を越えると言われていたり、
そういう過酷な中で生きる蝶のようにこの厳しい現代社会を生きる女性たちに着物という羽を持ってもらいたいという思いで、
かはひらこというブランド名にしました。

佐竹さんの役割とは?

西陣織というのはまずその基となる図案がありまして、そこから図案家と言われる図案を専門とした職人さんに製造を行ってもらい、
その製図から紋図といって機にかけた時にその折柄がきちんと出るように旗を動かす設計図みたいなものがあるのですが、
それを設計したのちに、色系を染める職人さんだとか縦糸を染める職人さんとか縦糸を機にかける職人さんだとか、様々な工程があるのですが、
帯屋という立場とは実際はプロデューサー的な、一本の帯をこういう風に仕上げたいというすべての職人を扱いながら、
自分の思う帯に仕上げるのが帯屋になります。
私の方では、まず図案ですね、デザインの構成と、織るところ、仕上げ、配色決めを自分の思う帯に仕上がるように行っております。

次の世代に繋げていくことを意識しているのでしょうか?

私自身もこの西陣という長い歴史、一本の帯でというと、その長い縦糸に対して一時代ですね、
もう一本の色糸を織り込んでいるような立場だなといつも思うので、この先続く織物が少しでも綺麗なものになるように、
きれいな色糸を一本入れられたらいいなという気持ちでやっていますので、
次の世代にも頂いたものは続けられるように返したいなと思っています。

今、世の女性に対して伝えたいメッセージは?

人の祈りや願いとか、思いの強さというのがどんなポジションにいてもどんな状況にいても、
表現し続けることということが未来へのエネルギーになるのではないかなといつも思っています。

Works

Profile

佐竹美都子 株式会社西陣坐佐織 代表取締役。
同志社大学を卒業後、一般企業勤務を経て学生時代から続けてきたセーリング競技で2004年アテネオリンピックに日本代表として出場。
2005年より家業の西陣織製造業に従事し、2012年株式会社西陣坐佐織設立。
翌年、オリジナルブランド「かはひらこ」を立ち上げる。
華道 小松流師範、能楽観世流、煎茶道など和の文化にも造詣が深い。趣味はサーフィン。

Episode 05

江戸末期に創業した染司よしおかは、奈良・東大寺で1260年以上続く伝統行事、修二会(しゅにえ)の「お水取り」の造り花をはじめ、社寺の行事を支える役割を担っています。その6代目が今回のムービーの主人公、吉岡更紗さんです。5代目の父・幸雄氏が研究を重ね生み出した「よしおか流」の植物染めを受け継ぎ、古から伝わる植物そのものの色彩を美しく布に、紙に映し出す日々。繊細かつ鮮やか、たおやかかつ強い植物たちの彩りに似た吉岡さんの美しさと創造の根幹を探りに、ゆったりと大きな川が流れる京都の南にある工房と、骨董店が立ち並ぶ古門前のお店を訪ねました。

植物染とは?

植物で染めるのが私たちの工房の仕事です。必ず、植物には色素があるんですが、どんな植物でも必ず染まるというわけではありません。私たちが大事にしてるのは、古来から使われていた染料を使うことです。染色の歴史はおそらく三世紀ぐらいにさかのぼると言われているのですが、先人の染め人たちがいろんな試行錯誤をして、記録として残っている植物、もしくは現存する染織品で、これはこの染料を使ったと分かっているものだけを使うように決めています。

染織家になろうと思ったきっかけは?

私が生まれた当時この工房は、どちらかと言うと祖父の仕事場という感じでした。個人的にすごく好きな場所だったので、いつかこの仕事をしてみたいなっていうふうにはずっと思ってました。華やかな世界にも憧れがあったので、大学を卒業した後はアパレルデザインの会社で働いて、すごくいい経験をさせていただいたなと思ってたんですけれど、家業がお寺や神社など、長い歴史を繋いでいくようなところに関わる仕事をしているので、自分も関わっていかないといけないだろうなと思い、家業を継ぐという志を抱くようになりました。

長い歴史を繋ぐ仕事とは?

東大寺さんの修二会という行事は、752年から始まって、1年たりとも休んだことのない伝統行事です。祖父の代から「染司よしおか」でこの社寺に携わるようになり、50年ほど経っています。どんなことがあっても必ず止めない、中断しない仕事に関わっているということが、非常に大きいことだと思っています。

染織家として大切にしていることは?

祖父の代から、染色の歴史で言うと後戻り(化学染料から植物染料への回帰)をすることを選んだ工房だと思っています。
「新しいものを作るとか、新しい挑戦をする。」それは言葉としてはとても美しいと思いますが、私は過去のあり方に戻ったものを守り、継続していくというのは、実はとても難しいことだと思っていて、それを担うのも自分の使命だと思っております。
女性で6代目となる染織家を継いだというと、「何か新しいものに色を見つけたりしますかとか?」などという質問を多く聞くのですが、絶対それはしない。私は今まで美しい色を出し続けた職人たちを本当に尊敬していて、日本の美しい染織の歴史を作ってきた歩みこそが大事だと思っていて、それを学びたいし、それを伝えたいと思います。

今、世の女性に対して伝えたいメッセージは?

自分は、本当に色々な方に助けていただいて、育てていただいて、ようやくスタートに立てているので、何でも自分ひとりでやろう、ではなく周りの方々に感謝して、1日1日を大事に過ごすことが大事だとお伝えしたいです。

Works

Profile

吉岡更紗 染織家。京都市生まれ。
大学卒業後アパレルメーカーに勤務したのち、愛媛県にある野村シルク博物館で染織技術を学ぶ。2008年より父・吉岡幸雄氏のもとで染色の仕事に就き、2019年、父の急逝により6代目となる。職人としての仕事に加え、「染司よしおか」代表として工房と店舗の経営も担う。2023年には初の著作「新装改訂版 染司よしおかに学ぶ はじめての植物染め」を上梓。

Episode 06

日本を代表する色絵陶磁器、九谷焼。「上絵付けを語らずして九谷はない」といわれ、その華やかな絵柄で国内外でも広く知られています。今回のムービーの主人公、河田里美さんはこの九谷焼の絵付師です。よく目にする色鮮やかな九谷焼とは一線を画す、柔らかく淡く、しかし深みのある色彩で花鳥を表した作風でファンを魅了しています。コンピュータを使ったグラフィックデザインを学び、アーティストを志すなかで、ろくろ師の父と絵付師の母の仕事に触れ絵付師を志すようになりました。伝統を引き継ぎながら、自身の作家性を研ぎ澄ませ、未来へ技と美意識をつなぐ河田さんの眼差しの先にあるものを追いかけて、海を抱き山を臨む自然豊かな石川県の九谷陶芸村を訪ねました。

九谷焼とは?

九谷焼は、生地師と絵付師に分かれており、私は絵付師の仕事をしています。九谷焼は全国的に絵付けのイメージを持たれていますが、金沢や加賀などで、お茶の文化が発達していますので、そのお茶道などで使用する道具であったり、お茶室の中で映える作品が多いと思います。

絵付師になろうとしたきっかけは?

アルバイト先の店長が金沢の料亭で料理長だった方で、お客様にお茶を出す煎茶椀として両親が作ったものを使って下さっていて、両親が作った器を大事にしている人を初めてそこで見て、九谷焼をすることにしました。

作品づくりのこだわりを教えてください

薄い色を何度も重ねては焼いて、塗っては焼いての繰り返しで薄いけれど、色花びら一枚一枚に深みがそれぞれ違うグラデーションを作って描いています。色彩学を学んでいるので、その人が色から受ける影響、視覚から受ける影響を考えたりバランスを考えたりしてトータルのデザインをするように心がけています。

作品づくりで楽しいと思う瞬間は?

自分が作ったものが、思うように仕上がったときは、自己満足ではありますが喜びを感じます。それをお客様に求めていただいて、使っていただけることは、作品づくりを続けていく中で、すごくうれしい気持ちであり、モチベーションになっています。それがあるから続けられると思います。

次の世代の作家たちに期待することは?

自由な作風を受け入れてくれるのが九谷焼だという理由で作家を目指す人も多いので、後輩たちがどういったふうになるのかなっていう興味がすごくあります。一方で、九谷焼らしさを残したいっていう人も中にはいるので、その役目はその子たちが担ってくれるのだろうというふうに思っています。新しい作品をどんどん発信していく、SNSを使える若い子が多いので日本に限らず世界的に発信するっていう意味で若い作家さんたちがどんどん育って、この先どうなっていくのかなっていう楽しみはあります。

女性の活躍について

友人や同期、仕事の関係者でも子供が生まれて、本当は描きたいけれど描けないという子がたくさんいます。一方で、子育てが落ち着いたり、小学生になって少し手が離れたという子を持つ方からは、今まで描いてきたものを描き始めると、やっぱり好きで楽しい、そしてそれが受け入れてもらえるのが嬉しいという話をよく聞きます。なので、辞めないでまた続けること、日々少しずつでも続けるというのはすごく大事だなといつも思っていて、お願いだからやめないでねと思っています。

Works

Profile

河田里美 九谷焼作家。石川県生まれ。
大学でグラフィックデザインを学び、広告代理店に勤務したのち石川県立九谷焼技術研修所にて絵付を学ぶ。2007年より日本工芸会・正会員である九谷焼作家の中村陶志人に師事、2017年に日本伝統工芸士に認定される。現在は九谷焼作家として活動するほか、金沢美術工芸大学、石川県立九谷焼技術研修所にて講師を務めるなど後進の育成にも取り組んでいる。

Episode 07

六世紀に仏教とともに大陸より伝えられ、仏像や仏画の加飾荘厳として用いられてきた截金。純金箔やプラチナ箔を数枚焼き合わせて厚みをもたせ、竹刀で糸のように細く切り文様を描き出す技術です。現在、日本における截金の第一人者として知られる江里朋子さんは、この技術を一般に広めるため茶道具や工芸品に応用して創作活動を行います。その優美で繊細な作品の数々が生まれるアトリエを訪ねて、江里さんが住む福岡へ。ほぼ糸状の箔を筆で自在に操りながら美しい模様を描く江里さんの目と心に映る風景は、静謐でありながら強い情熱を宿していました。

截金(きりかね)とは?

金箔を何枚か焼き合わせて厚みを持たせたものを竹で作った刀で切り、一本一本、筆で貼っていき、文様を作っていくという技法です。日本には仏教の伝来とともに伝わった技術で、仏様の衣装、衣の文様や仏様のまわりを飾るにふさわしい技法として発展してきました。

絵付師になろうとしたきっかけは?

私が日本画を勉強していたこともあり、母から彩色のお仕事を手伝ってみないかと声をかけてもらい、そこから少しずつ金箔も触らせてもらうようになってはじめることになりました。自分にはできないと思っていた截金もさせてもらうようになったら、時間はかかってもできるようになり、できないと思っていたことができるようになる喜びに触れることで、自分も関わりたい、もっと勉強したいと思うようになって、卒業と同時に、母の元で勉強させてもらうようになりました。

ものづくりをする上での喜びは?

自分の才能の無さとか、力不足であったりとか、そういうことを感じたりすることは本当にあって、うまいこと行かない時はしんどいです。でも、時間かかった分だけ出来上がった喜びも大きく、次はこんなものを作りたい、あんなものを作りたいと、次へのワクワクが感じられるっていうのも、自分の中で幸せですし、誇り、喜びに感じています。

截金を未来へ繋げるために意識していることは?

歴史は古いのですが、ご存知の方がまだまだ少なく、少しでも多くの方に知っていただきたいなっていうふうに思っています。仏像の仕事だけではなくて、工芸品であったり、お茶道具であったり、より身近なインテリアに関するものにも、作品を広げ、展開をするようにしています。仏像、仏様を飾るお仕事として発展させてきた先人の想いを大切にしながら、今の時代の截金の表現や形というのを、自分の中で見つけて、次の時代に繋げていきたいというふうに思っています。

今、世の女性に対して伝えたいメッセージは?

“念ずれば花開く”という言葉もあります。努力を続けていけば道は開けてくると思うので、難しいなと思う中でも、やり続けていくことで少しずつ道は開けると思っています。私は、明るい方に向かっている、進めてきていると感じるので、折れることなく頑張りたいと思っています。

Works

Profile

江里朋子 截金作家。京都市生まれ。
大学で日本画を学ぶなかで截金と共通する部分を感じ、重要無形文化財「截金」保持者である母の江里佐代子氏を手伝うようになり截金作家となる。母と同様に截金の技術を飾筥や欄間、茶器などへ転用しその可能性を拡げる。

2001年より夫の郷里である福岡へ居を移し制作を開始。2011年に日本伝統工芸展新人賞を受賞、以降数多くの賞を受賞している。精力的に制作活動を行いながら、メディア出演などを通じて截金の魅力を語り、普及に努める。日本工芸会・正会員。

NEW Episode 08

弥生時代に伝来したとも語り継がれる「たたら製鉄」。炭と砂鉄を低温で還元し玉鋼を使う技術で、現在では主に日本刀に用いられています。大量の材料を運び、炎と火花を散らし、10時間以上にも及ぶ作業を行う世界で唯一の女性たたら師が、今回の動画の主人公、平田のどかさんです。弱冠20代半ばにして、わずか数年でこの技術を身に着け、夫である刀工の祐平さんが作る唯一無二の刀作りになくてはならない高品質な玉鋼を製作しながら、まだ小さな3人のお子さんを育てる母親でもあります。仕事に勤しみ、家族を愛し、日々の暮らしを楽しむ平田さんを訪ねて、東京の西にある自然豊かな地、青梅へ。

たたら師(村下)の仕事とは?

日本刀の原料を作る人のことを、たたら師や村下(むらげ)と呼び、炭や砂鉄を用いて製鉄をすることを言います。基本的な流れとしては、(炉に)炭、砂鉄を、5分おきに入れ、それを12時間程繰り返します。途中で「のろ」と呼ばれる不純物を抜く工程を繰り返し、12時間後に、玉鋼(たまはがね)(日本刀の原料)を取り出します。それ(玉鋼)を刀鍛冶にお渡しするところまでが、たたら師、村下の仕事です。

たたら師を目指したきっかけは?

最初は主人が全部一通りの作業(たたら製鉄と刀鍛冶の作業)をやっていて、それがすごく簡単そうに見え、何か手伝えないかなと思って始めたのがきっかけです。
「ずっと炭と砂鉄入れているだけで私にもできるだろう。」と思い、やり始めたのですが、一番最初にすごく盛大に失敗して、すごく負けた気持ちになり、悔しいなと思ってやり始めたら、どんどん面白く感じてくるようになりました。毎回失敗するたびにどうして失敗したのか、次こうやったら上手くいくかなと計算をしたりするのがすごく楽しくなり、それからもう虜になりました。世界を探しても、女性のたたら師は自分しかいないので、よくやろうと思ったなと自分でも思います。

たたら師をやっていて楽しいと思う瞬間は?

たたら製鉄って、生き物みたいな感じなんです。使用する炭も砂鉄も、必ず自然からできているもので、全く同じものが何一つないので、毎回様子が変わります。
毎度毎度その時の(素材の)様子に合わせて、やらなければいけないっていうのが、一番難しいポイントでもあり、一番面白いところでもあります。

たたらという文化を次世代に繋げるために意識していることは?

いいものを作っても埋もれてしまうと意味がないので、まずは自分たちのところで発信をしていく。SNSで発信をして、たくさんの人に見ていただくというのはかなり意識しています。お客様で言うと、フランス語圏の方と、欧米圏の方がすごく多いので、英語とフランス語で発信させていただいております。見学に来られる外国の方も、鬼滅の刃がデイモンスレイヤーというのですが、デイモンスレイヤー、デイモンスレイヤーとずっと連呼されていたりします。こういった工房だと、実際に行きづらかったりするのですが、アニメとか漫画で気軽に見れることで、少しでも認知につなげれるっていうのはあります。

この動画を見ている方々へメッセージをお願いします。

物事に囚われないっていうのはすごく大事だと思っていて、ある程度守らなきゃいけないルールだったり、伝統とかはあると思うのですが、今はすごくいい時代で、男女差を無くそうとか、いろんなブームがあったりもするので、自分らしさを一番大事にしつつ、守らなくていいものはちょっと破ってしまっていいと思います。自分らしさをとにかく大事にすることが一番大事だと思っています。皆さんにも、伝統工芸に携わる方もそうでない方もとにかく自分らしさを忘れないことを大事にして欲しいなと思っています。

Works

Profile

平田のどか たたら師。岡山市生まれ。
岡山県で名匠のもと、自家製鋼と鍛刀技術の修行をしていた祐平さんとの結婚を機に上京。祐平さんの仕事を支えたいという思いからたたら製鉄を学び、自身のアイデアを加えながら「歩留まりが良く、粘り強く、刀工にとって加工しやすい高品質な玉鋼」の製作に取り組む。かつては女人禁制とされてきた鍛刀の世界で、世界でただ一人のたたら師として活動。SNSをはじめとしたデジタルプラットフォームからの発信やPR活動にも積極的に取り組んでいる。

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Coming soon

支援先【美術工芸甲子園】京都伝統工芸大学校の美術工芸甲子園を通じて、若手職人や後継者の育成を支援する活動に寄付致します。
美術工芸甲子園

美術工芸甲子園 では全国から応募があった美術工芸作品を厳正に審査し、
DECORTÉ賞を含む、名誉ある各賞を決定いたしました。


第15回 DECORTÉ賞受賞作品

北須磨高等学校 2年(兵庫県) 中澤 茉優「明鏡止水」

Past activity

国際女性デー特別企画

DECORTÉ
「KIHIN to the future」展

2023年3月8日(水)~13日(月)の期間にわたり
銀座三越 本館7階 銀座シャンデリアスカイ・イベントスペースにおいて、
2022年の「KIHIN to the future」の動画に出演いただいた
4名の作家による作品展示を行いました。


4名の作家の中から、三澤世奈さん・梶浦明日香さんの2名による
スペシャルトークショーも開催いたしました。